妙相寺

撮影日 2017/07/09
撮影場所 妙相寺
コメント 普代村唯一の寺院

普代村の寺院は一院のみで、凱翁山妙相寺と云い

曹洞宗(そうとうしゅう)宮古市千徳勝寺の末寺です

寺側の推定として文化六年から七年頃(1809年~1810年)

海岸の黒崎地区第一地割一番地の「まじない場」と呼ばれる所から

現在地に移転しました

その後文政元年(1818年)と天保八年(1837年)の 二度の山火事により

焼失し、現在の本堂は大正八年(1919年)に再建

壇信徒の寄進によるヒノキやケヤキを利用しました

両側に大きな木が並ぶ道を進んで行きます

途中には一基の石碑があります

 

有無両縁三界萬霊

文化8年 建立

人間には欲界、色界、無色界という三つの迷いの世界があり、これを三界といいます

欲界(よっかい)とは三界のうち欲界が最下層で、淫欲・食欲・睡眠欲など、本能的な

欲望が強い世界です

色界(しきかい)とは欲界の上で、前記の三欲を離れた生き物が住む

清らかな世界です

無色界(むしきかい)とは最上の領域であり、色を持たない世界です

欲望も物質もすべて離脱した、精神的な要素のみからなる高度な世界です

ここの最高処を「有頂天(うちょうてん)」といいます

喜びや得意の絶頂で、我を忘れている状態を有頂天といいますよね

この三界におけるすべての霊あるものを意味するのが三界萬霊です

この塔は広く無縁の有情を供養する意味があります

 

奉再建山門

昭和8年 建立

山門から進んで行くと本堂が見えてきます

妙相寺ではお茶会も行われています

普代村民が集まる場所となっているんですね

しっかりと手入れされた庭は、見るだけで心が洗われるようです

橋のかかった池にはきれいな蓮の花

たくさんの鯉も泳いでいます

季節ごとに彩られるたくさんの花と、時期になると竹林ができるそうです

庭の中心には大きな石碑があります

三陸大海嘯溺死者諸精霊供養塔

文化8年 建立

昭和八年三月三日午前三時十分。海嘯 が襲来し、普代村では流失戸数七十八戸

溺死者数が百三十五名と彫字されています

また、塔の裏面には「本供養塔は全国各地より寄託されたる義損金の内より、

特に、海嘯 溺死者の弔慰施設として指定し、県より配当せられたる、義損金の内を

似て建設せしものなり」と塔造立の経過が彫字されています

お寺の通用門側には広場があり、そこにも石碑が二基あります

英霊塔

昭和51年 建立

日清戦役から大東亜戦争までの間に戦死された百名の氏名が記録してあります

「日清、日露の戦役、満州事変、大東亜戦争に際し、祖国に殉じられた、郷土出身百柱の

御霊に対し深く心に誓うものである。今日の平和は諸霊に負うところ、まことに大である

諸霊の愛国の至情を後世に伝え、御霊を慰むるは、われらの責務と考える。

されば、終戦後三十周年を記念し、計画を進め、曹洞宗 妙相寺の森に、村民の平和と

慰霊の誠をこめて碑を建立す。

希くは、とこしえに、この霊地に鎮まりて、村の平和と、繁栄に加護あらんことを。」

と、彫字されています

忠魂碑

明治40年 建立

明治三十七、八年の日露戦争戦役の忠魂碑

 

この歴史ある妙相寺は、普代村民のよりどころとなる場所ですね

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